地蔵盆
神戸の地蔵盆は、下町の路地(神戸弁では、「ろおじ」)のあちこちにあるお地蔵さんを 回っていく、こどもにとっては一大イベントでした。
大きなビニール袋を持って、近隣の地区を回り、お地蔵さんのお供え物のおすそ分けに 預かります。獲物は、お菓子やジュース。わくわくする一夜でした。 (何か行事があるときに活躍する、ばら寿司、いなり寿司、も、登場していたようです)
ラジオ関西
須磨にある放送局(今はハーバーランドに移転?)。 夜7時から始まる電リク(電話リクエスト)のテーマソングは「スターダスト」。 小学生のころ(そのころは加古川に住んでましたが) 背伸びして洋楽をリクエストしてました。 (現在は、高校の後輩「旭堂南海」君が、谷五郎さんの番組に出演しています・・・)
お好み焼き
お好み焼きを家でも外でもよく食べました。 その当時多かったのは薄くてキャベツを千切りにしたものを 入れたお好み焼きで、 大人は「すじ焼き」を、子供は「にくてん」というのをよく食べていたように思います。 また、私は小学校のころから大食で「にくてん」を食べた後に 焼きソバを食べていたように思います。 そういえば、大人は「モダン焼き」もよく食べていました。
ごはん焼き?
近所のおばさんたちはお好み焼き屋さんに、 残り物のごはんをボウルに入れて持ってきて、 「これを入れてお好み焼きを焼いて」とか言っていました。 また、掟やぶりな人はお好み焼き屋さんに チャーハンを作らせたりしていました。 この料理の料金体系はいったいどうなっていたのか? 知ってる人がいたらぜひ教えてください。 −−−この件についてはメールを何通かいただきました。 教えてくださった皆さん、ありがとうごいます。 「そばめし」説:最近全国メジャーになったそばめし、確かにありました。 きれぎれになっためしつぶ長のそばとご飯がまざりあったやつ。 「やきめし」説:アルミのふたのようなのをかぶせて焼いてたような記憶が・・・。 「ごはん入りお好み焼き」説:これも確かにあったそうです。 料金は1枚分100円くらいだったとか。
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ごはん焼きの値段は、たぶん昭和36年当時、50円〜60円位だった、と
当時、真野町におすまいだった方から、メールでお教えいただきました。 |
あめやさん、てっぽうやさん
小学校の正門前にはよくいろいろな行商の人が店を出しに来ました。 飴細工でいろいろな動物の形を作る人とか 針金細工で輪ゴム鉄砲だか、 竹の輪切り鉄砲だかを作る人とか・・・。 でもそのころ(昭和40年から45年)は もう紙芝居屋さんはほとんど見かけなかったように思います。
くしカツ屋さん
食べ物の話ばかりですみませんが、 商店街への買い物帰りによく食べたのが串カツ。 牛肉の薄切りの串カツや、 ジャガイモを茹でたのを串カツにしたのを よく食べました。ソースをつけて。 カウンターだけの持ち帰り中心の 店で、たぶん大変安かった。
| くしカツの値段は、肉10円、ジャガイモ5円(これも昭和30年代でしょうか?)、と、これも当時真野町在住だった方よりメールで情報お寄せいただきました。 |
ホルモン屋さん
当時の神戸の下町には「焼き肉屋」というのはほとんどなくて、 「ホルモン屋」さんでした。焼くものがホルモン中心だったのでしょうか? 「ホルモン屋」さんは、焼いてるものも子供には難解でしたが、 大きなビンに小袋詰めの乾きもののおつまみが入ってたりしていて 大人の世界でした。またにんにくの香りが強く、 当時は、にんにくは一般的には売られていなかった?と思いますので、 その印象は強烈でした。
市場
私が幼い頃買い物について回った市場の多くは震災で 様相が変わってしまったと思いますが、 狭くて曲っていて、いろいろなものを売っていました。 「煮豆屋」さん:いろいろな種類の豆を甘く煮て売っていました。 「あめや」さん:あめやさん専門だったか、他の商売の店頭だったか、 あめ湯とか、冷やしあめとかを大きな入れ物から汲んでくれました。 市場個々の名前(「マルハ市場」とか)はうまく思い出せませんが 買い物コースは「六間道商店街(下の写真は現在のようす)」、
 「大正筋」、「昭和筋」、「神戸デパート(確か市営の建物・・・)」でした。
かるもプール
神戸では老舗の温水プール? ゴミ焼却施設の熱を利用しており、更衣室など室内も そのせいなのか(?)暖かいです。 私の住んでいた苅藻通3丁目から近い苅藻島にありますが、 初めて私が訪れたのは大学生になってからです。 平成16年1月に訪れたときは入場料500円、時間制限なし、場内に軽食喫茶もあります。
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